2017/11
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松雪泰子さん主演の家族狩りも、夕べが最終回でした。副題にも掲げさせてもらったように、希望の光が生まれた一方で、まだまだは続いていくといった結末でしたが、それはそれでなかなか良かったのではないかと思います。実際、この世から悲しみや悪が消えることはない訳ですし、問題はそこに希望が見いだせるかどうか、なのですからムフフ。以下、家族狩り最終回の簡単なネタバレのあらすじです家族狩り・最終回のあらすじ行きますよ~(^^)/


まず気になっていた芳沢亜衣の家族は、游子と浚介の必死の説得と、馬見原が現場に駆けつけてくれたことで何とか事なきを得ました


そこで明らかになったのが、大野と山賀~元は夫婦だったというこの二人の過去です


「自分の家族を殺すことほど残酷で悲しいことはない」


そう大野が語っていた通り、大野自身がDVに走った息子をその手で殺したのだそうです。この動機もいかにもナルシストで傲慢でやんすね


しかも~案の定大野は元教育者でした。山賀は当時保育士をしていたということで、ふたりは他人の教育や家庭問題の相談には乗っても、自分の息子の寂しさにはまったく気付いてやれなかったそうです。これはおばさんも似たような境遇にあったので、その息子の気持ちがよ~く分かります


ついに暴力を振るい始めたその息子に、山賀と大野はなす術を失い、親というよりもはや人間として最もしてはいけない行為に走りました。いっそ死にたいと涙を流していた息子を山賀が思い切り抱きしめた時、大野はどうしてもっと言葉と心を尽くそうとせず、ピリオドを打とうとしたのか。


それはやはり大野が教育者だったからだと思います。もちろんすべての教育者が偽善者だとは言わんけど、そうなる傾向は大いにある。なぜあの時点で、もっともっと息子の気持ちに寄り添って、彼自身の将来について考えてやれなかったのか~それは常に自分の価値観を押し付けるだけで、子どもの自主性を重んじないタイプだったからなのだとここは大いに納得でした


そこへ行くと、同じ教育者でも、自分もまた親との意思の疎通がうまくできずに苦しみ抜き、自ら突破口を求めて家を出た、バスキアに憧れた浚介は違いましたね~


今の自分が嫌なら変わればいい。死んだら何もかもお終いだ。生きていればきっといいことがある


これを「きれいごと」と決めつける大野~この「決めつけ」こそがいかにも典型的な頭の固い教育者ですよ。いわゆる、腐ったリンゴは捨てるしかない、ダメなものは切り捨てろ、という思考の持ち主。人間はリンゴと違って、たとえ一時腐っても、また再生することができるんです。それがみずみずしい感受性を持った子どもなら尚更の事


融通の利かない、自分は絶対に正しいと信じているガチガチの大野と山賀にはそれが理解できません。本来指導する立場にある人間は既成の概念を教え込むのではなく、子どもたちの個性や創造性を引き出し、未来への可能性や希望を指し示さねばならないのに。


でも山賀は~これはおばさんの希望的観測ですが~少しだけ気づいていたようでしたね。浚介が、亡くなった実森勇治と

「明日の約束(=希望)

をしていて、二人ともそれを楽しみにしていたのに、山賀たちがその機会を潰してしまったと詰った時、死を前にした勇治が「約束だからと言って浚介にメールを送ったことを思い出していたようですから。


後に游子も語っていましたが、家庭内、校内、社内~どこでも「閉じた社会」に起きた問題は、確かにその中で解決するのが理想だろうけれど、そこで手にあまるような時は外部に助けを求めるということが絶対的に必要です。中だけで解決しようとすればするほど、まさに「蟻地獄」のようになって、にっちもさっちもいかなくなるということは、ある程度経験を積んだ大人であれば理解できるはずです。


約束は生きる力を生み、力は未来を作ってくれる家族狩り~浚介の名言語録を作りたい( *´艸`)


浚介は実に良い言葉を残してくれました。人は誰でも何か問題にぶち当たった時、心に余裕があれば

「気分転換が大切だ

ということに気づきますが、本当に追い込まれてしまうと、自分からはなかなか動けなくなるものです。本来、游子や山賀のような職業の人間は、その手助けをするために存在するのではありませんか?解けない問題だけに集中して、ますます頭を鈍らせるのではなく、違ったアプローチが無いかどうかを探すために、煮詰まった頭を解放し、視野を大きく広げることが大切なのでは?


游子は、浚介や渓徳と出会ってそれに気づかされたと言いました。認知症の清太郎を抱えて、民子とともに追いつめられていた游子に、ふたりは、その清太郎とともに楽しむことを教えてくれた。清太郎もまた、家族に負担をかけて心苦しくなり、ますます病を悪化させていたところに、自分もまだまだ家族を楽しませることができると気づいた=自分の生きる意義を見つけた


特に今回、民子が胃癌で入院したことも、清太郎にとっては、自分が頑張らなくてはともう一度思える心の張りになったようです。そう言えば、清太郎が認知症になったのは定年退職がきっかけだったようですものね。


人間は決して完璧な生き物ではないからこそ、それぞれに助け合って補い合っていかねばならない。ただ楽しい時を共有するだけでなく、苦しい時も、できるだけ楽しくともに生きていこうよ、と励まし合っていかなくちゃ。病める時も健やかなる時も~と、あの結婚の誓いの言葉は、夫婦間だけじゃなく、人間社会全体にもあてはまりそうです


と、社会派ヒューマンドラマとしては実に素敵なエンディングで、家族と疎遠になっていた浚介も「游ちゃんの励ましでようやく16年ぶりに再会を果たしたのは何よりでした


馬見原も綾女と別れて佐和子とやり直す決意をしたようですし、娘の真弓のことも、その夫によろしく頼むと言えたようです。15歳までしか育てられなかったけれど、私にとっては大切な娘だから


芳沢亜衣の家族も釧路に渡って一からやり直すようで、亜衣自身、そこで自分も働いて、親の苦労を味わってみると、ほかならぬ浚介に言いにきてくれたのは嬉しかった。それをシッカリ受け止めた浚介は、授業で「家族」の前衛的な絵を描くよう指示しています。それはきっと浚介が彼なりの方法で、生徒たちの抱えている家族に関する問題を汲み取ろうとしたからでしょう


浚介に付きまとっていた美歩も、浚介を諦めて体育教師と婚約したそうですし、駒田に死なれた玲子にもようやく游子の誠意が通じたらしく、強く逞しく生きていけそうでホッとしました。


一方の「闇」の方はというと、馬見原に撃たれた大野と山賀は、富士の樹海まで逃げ延びて、そこに凶器のナイフを置き、姿を消してしまいました。ここで凶器を置いていったことこそが、死んでいない証ですよね


「私たちにはまだまだやり残した使命がある!


そう信じ込んでいる狂気は、まだ誰にも止めることができません。こうなるともはや殺人鬼です。何せ彼らが狩った家族は(送って差し上げたなんて傲慢な言い方を聞くと前回同様怒りがこみ上げてくる)ドラマで取り上げられた4家族だけじゃなかったそうですし、游子の名前が被害者の家の電話に登録してあったのも、いざとなったら游子に罪を着せるつもりだったというから呆れて物が言えません。あのような偽善者は一刻も早く逮捕してほしいものです白蟻どころの騒ぎじゃあらへん(;´Д`)


でもドラマとしてはなかなか面白かったです家族狩り~途中はあまりに思わせぶりが強くなりすぎて主題がぼやけたように感じられましたが、最後はきちんとまとめてもらえてよかったです。原作はもっと大作なのですね~時間を見つけて是非読んでみようと思います家族狩りも面白かった


家族狩り〈第1~5部完結セット〉 (新潮文庫)

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