鴨川食堂 あらすじと感想 第2話 別れた夫のとんかつ
忽那汐里さん&萩原健一さん主演のプレミアムドラマ、【鴨川食堂】の2話は「別れた夫のとんかつ」です。これまた何とも言えずええ話でございましたね~。今回のゲスト出演者の井上晴美さんの目がちと怖かったけど
、ストーリーは好きでした
。以下ネタバレのあらすじです
。
今回のお客は、山口でピアノ教師をしているという廣瀬須也子(井上晴美)です。前回同様、詳しい話はあとで聞くことになり、とりあえずはまたお任せで料理を出すことになりました。須也子は先に肉などの脂っこいものが苦手だと説明します
。ラーメンや丼物は食べられません
。
周りを見渡すと、馴染らしい客たちが皆、ラーメンを食べていたので尚更そう思ったのでしょうか。
でも逆に言うと、いかにも日本料理しか出さないように見えていたのに、そこで敢えてラーメンを頼むのであれば、きっとそれもまたかなり美味しいんだろうなあ、などと、喉を鳴らしてしまったおばさんです
。だって、食べ終わったお客が一旦立ち上がったのに、いかにも名残惜しそうに、もう一度スープを飲み干していたのですよ~ん
。
それならば、夜にコースを食べに来る客がいるから、そのメニューから見繕ってお出しすると語った流が運んできた「小皿尽くし」の料理がまた実に美味しそうで目の保養でした:
宮島牡蠣の鞍馬煮は、鞍馬の実山椒とふっくら炊いてあるのに白ゴマが掛けられていて、いかにも食欲をそそりましたし、粟麩の蕗の薹味噌田楽は、可愛らしくて食べるのがもったいないほどでした
。
蕨と筍の炊き込みは、上に乗せられた山椒の若葉が目にまぶしいほどで、他には諸子の杭焼き、京地鶏のササミ山葵和え、若狭の〆鯖千枚漬け巻、に加え、少し花冷えだからと、お椀は「ハマグリの真蒸」を葛引きにしたものが振る舞われました。これは温まりそうですね。ご飯は丹波のコシヒカリだそうです
。
流の説明を嬉しそうに聞いていた須也子が、諸子は琵琶湖の物かと尋ね、流がそうだと答えると、諸子は京都の春を告げる魚だと夫が教えてくれたと話してくれました。最初に店に来た時は、広告を出しておきながら分かりにくいと仏頂面だったのが、すっかりにこやかな表情に変わっています
。
いかにももったいぶって「少食だから」と言っていたのが、最後には、大和煮をご飯にかけてお茶漬けにしてすすりこんでいた須也子
。よほど美味しかったのでしょうね。前回は、見知らぬ客にあれこれ注意していた来栖妙も、今回はこの様子を見ても何も言いませんでした
。
こうしてすっかり満足したところで、こいしの聞き取り調査が始まりました。なんと須也子が探してほしい思い出の味は「とんかつ」なのだそうです
。
京都の出町柳という駅の近くにお寺があって、そのそばに「かつ傳(でん)」というとんかつ屋があったのだそう。3年半前に閉めたというそのかつ傳の主人をしていたのが、須也子の元夫だったのだそうです。そして須也子が探してほしいのはこのかつ傳のとんかつなのだとか。
だったら本人に聞けばいいとこいしが答えると、須也子はそれができないからここに来たのだとやりかえしました。さすがに「年増の美女」は強いでござるね~こいしもたじたじです。なんでも須也子は、元夫の岡江傅次郎とは22年前に別れたそうなのですが、その傅次郎が病に倒れたという連絡があって、急いで病院に駆けつけたのだそうです。
須也子と傅次郎は、傅次郎が山口で河豚料理屋の「ふぐ傳」を開いていた26年前に、須也子の親の反対を押し切って結婚したそうです。3年間は幸せに暮らしていたふたりを、ある事件が襲いました。須也子のいとこが、自分で釣ったフグをふぐ傳に持ち込んで来て、当時二番手だった増田に無理矢理調理させたのが、フグ毒を取りきれず、中毒を起こしてしまったのだそうです
。
傅次郎は当時組合に出かけていて留守だったにもかかわらず、それでひとりが亡くなった責任を取って店を閉めたのだそうです。その上傅次郎は、これからは苦労が続くだろうから、お嬢様育ちの須也子には耐えられないだろうと、離婚を申し出たのだとか。
でも須也子は、たとえ別れたとしても傅次郎の無事だけは知っておきたいと無理を言ったため、傅次郎はそれに応えて毎年須也子の誕生日に、京都の藤右衛門作の伏見人形を送ってくるようになったのだそうです。その送り元は、ふたりが新婚旅行で泊まった、やはり京都の老舗旅館だったそう。
いつしか、その人形が送られてくる日を楽しみにしていた須也子でしたが、それが21年経った昨年、ぷっつりと止ってしまったそうです。須也子は胸騒ぎを覚えて急ぎ京都にやってきて、その旅館に問い合わせたところ、傅次郎の入院している病院を教えてくれたそうです
。
大柄な体格だった傅次郎はすっかりやせ細っており、余命3カ月と宣告されていたそうです。何でも、かつ傳は3年前に立ち退きを命じられて店を閉めざるを得なくなったそうで、傅次郎はこれで心の張りを失い、体調を崩してしまったのだとか。
なんとしてもかつ傳の味をもう一度傅次郎に味わわせてあげたい!
やはり病気で母を亡くしたこいしは、すっかり須也子に同情し、いつも同様2週間はかかると言った流をせっつくほどでした。もっと早くならんの?
頑固に譲らない流のために、今回はこいしも「地どり」を手伝いました。須也子から聞いた、傅次郎の「5ミリ、3ミリ」という言葉も気になっていたようです。おばさんも、こいし同様これはカツの厚さだと思ったのですけどね~薄すぎですが
。
そしてついにふたりは傅次郎の思い出の味に辿り着きました。フグ料理の職人だった傅次郎がなぜとんかつを作るようになったのか、その理由も突き止めます
。
それは、油ものが嫌いな須也子が、唯一、傅次郎がまかないで作ったとんかつを持ち帰った際、あっさりしてとても美味しいと褒めてくれたのが「3ミリ」の粗さのパン粉を使ってあげたものだったのだそうです。須也子を忘れられなかった傅次郎は、別れた後も、須也子の好きなとんかつを作り続けていたのですね
。
流はそこに山口産の「橙」入のソースも3種類用意してくれました。これもまた傅次郎流だそうで、ポン酢には橙の搾り汁が、辛口ソースには橙胡椒が、そして甘口ソースには橙を煮たジャムが使われていたそうです。
とんかつは揚げたてが美味しいからと、すべての材料を持たせた流でしたが、それにはもう1つ大きな理由がありました。実はその傅次郎、既に亡くなっていたそうなのです
。
これは流が、須也子が見せてくれた写真の時期から察知しており、また、妙も、花背山荘の女将から連絡があって分かったそうです。この花背山荘というのがきっと、須也子が新婚旅行で行った旅館なのですね。
どうやら須也子は、その旅館へ行ってとんかつを揚げ、亡き傅次郎に供えるつもりだったようです。もちろん須也子も、傅次郎が生きているうちに食べさせたいと思って、何度も自分で作ってはみたもののうまくいかず、思考錯誤するうちに傅次郎は亡くなってしまったらしいです。須也子の腕の包帯は、腱鞘炎ではなく火傷のためだったのです。
ひょっとして、祇園際の頃にはまたかつ傳の暖簾が上がるかもしれへんなと言ったのは妙です。これを否定したこいしには、女はいくつになっても好きな人の為なら頑張れる勇気があるのだと言い添えました。まあ、まだまだ若いこいしには理解できなかったようですが
。
ストーリーや料理ももちろん楽しいですが、はんなりとした京言葉が何とも耳に心地よいドラマです。「鴨川食堂」は続きもとっても楽しみです
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