真田丸 あらすじと感想 第24話 滅亡
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NHK大河ドラマ、真田丸の第24話は「滅亡」です。これもまたなかなか面白かったですね~。
でもちょっとだけ~あらすじに行く前によもやま話をさせていただきますね。
おばさんは、自分でも呆れるほどものすごぉ~くそそっかしいので、いつもドラマのレビューを書く前に、公式サイトを覗きに行きます。その回の副題や登場人物を確認するためです。それでも時々間違えます~このそそっかしさは子供の頃からなので多分死ぬまで治りません
。
その際いつも「真田丸」で検索するのですけど、今回はその検索ページで「イラッとする真田丸」という文字が目に飛び込んできました。これってものすごい枕詞ですね~。もう「真田丸はイラッとするドラマ
」と決めつけているようなものですもの
。ここにちゃ~んと、
これまで一度もイラッとしたことがない視聴者
がいますのに。でも実際に目を通してみたら、それを書いた方がイラッとしていたのではなく、ネットでそう言っている方が多いってだけの話のようです。その理由も単なる好き嫌いのようで。
これは真田丸に限ったことではありませんけど、人の好みは千差万別なのですから、どんなに面白いと勧められても、自分にとっては面白く思えないドラマがある(キャラがいる)のは当然です。むしろそうでなくちゃ気味が悪いです。1億総勢み~んなが好きになるドラマ(キャラも全員大好き)なんてありえません。あくまでも「好き嫌い」の問題ですよ。
これはもう恋愛と同じで理屈ではありませんし、決して悪いことではありません。下手に理屈をつけて、自分と違う意見の人を攻撃しようとするのがいかんのだす
。
誰に何を言われようと好きなものは好きだし嫌いなものは嫌いなのです。あばたもえくぼとはよくぞ言ったものですね。そしておばさんにとってこの「真田丸」は「えくぼだらけ」のドラマであり、ここで毎週あらすじ語らせていただくのが楽しくてなりませぬ
。
最近立て続けに思うところがあったので、ついつい雑談に走って大変失礼いたしました。以下ようやく(笑)あらすじです
。
思いもよらぬところで義兄の茂誠に再会した源次郎です。茂誠は、まつを思って嘆いていたが、空腹には勝てず、ゆかりの深い北条を頼って小田原城に来て以来、北条家の家臣として働いていたと打ち明けました。
ずっとまつの側にはいられなかったとすまなそうに打ち明けた茂誠に、源次郎はすぐにも姉の無事を伝えたかったのですが、何せ今はそれどころではありません。「とてつもなくいい事」(10音
)を伝えねばならぬと切り出したところに、板部岡江雪斎がやってきてしまいます。いっそのこと、ダイレクトに「姉上は無事です
」(9音
)と言えばよかったのにね。その方が短くて済みましたし
。
「とてつもなくいい事」とは何なのか気になってならない茂誠を置いて、源次郎が氏政に会いに行くと、氏政は即、源次郎を殺そうとしました。北条がここまで追い込まれたのは、そもそも真田が沼田を渡さなかったことが原因だと言うのです。痛いところを突かれました
。
その氏政の顔は、以前より一層白く塗られていました。きっとあれからますます顔色が悪くなったに違いありませんし、ここで弱みを見せてはならぬという気持ちがそうさせたのでございましょう。
源次郎は、今回自分は真田としてではなく、豊臣の使いで来た、せめて家康の書状に目を通してほしいと訴えました。が、氏政は、決して降伏はしないと言い放ちます。戦は最後の最後までどう転ぶか分からん!
どうやら氏政は戦況をまったく把握していなかったようです。源次郎は、もはや伊達政宗も降伏し、北条に味方する城もほとんど落ちたと伝えました。
鉢形も落ち、八王子ももうすぐです。そして沼田は既に真田が奪い返しました。どうか引き際をお考えください。
すると氏政は、どうせ秀吉と一戦交えるなら、伊達や徳川と組んで日の本を分ける大戦をやってみたかった。華々しく戦国の世に幕を引きたかった!秀吉が恨めしい、と独り言ちます。
源次郎は、秀吉が氏政と氏直の命を助けると約束したから、新しく豊臣の家臣として生き直してほしい!と訴えますが、この理屈は、氏直には通じても氏政には通じません。氏政にしてみれば、元は百姓だった秀吉が天下人になること自体が許せんのでしょう。
そしてこの思いは、実は、家康や景勝、そして昌幸に伊達政宗も同様だったことが明らかになります。
もはやこれまでと悟った氏政は、氏直に命じて小田原城を開場することにしました。家康たちが、これでようやくことが丸く収まると胸をなでおろしたその瞬間、秀吉が、氏政には死んでもらうと言い出します。
家康や吉継、それに氏政にそう話してきた源次郎も、それでは約束が違う!と反論しますが、秀吉に「もののふの理」を説いても通じません。何せ元が百姓なのです。
髷を落として秀吉の軍門に下った氏政のもとに、家康が駆けつけてきました。お命必ずお救い申す!恥は一時、生き延びることこそが肝要!!
が、氏政は、これ以上の家康の関与をキッパリと断りました。それが家康に災難をもたらすと分かっていたからです。
小田原城に来ていたのはこの家康だけではありません。家康は、八王子を攻めていた景勝や、忍城に戻っていた昌幸も呼びよせていました。家康はこのふたりを伴って、なんとしてでも氏政を説き伏せようとします。
目の前にどっかりと座り込んだ彼らの姿を見た氏政は、昨日まで敵として戦ってきた3人が自分を心配してわざわざ足を運んでくれたことに感動を覚えずにいられません。わざわざかたじけない。
氏政殿にはぜひとも生き延びていただきたい。それが互いにしのぎを削ってきた我ら3人の総意でござる。
そう語った家康に、景勝もまた加勢します。我らも髻(もとどり)を切る覚悟で殿下に申し上げる所存だ。殿下は話して分からぬ人ではない!
が、氏政は逆にその景勝に、秀吉のために生きることができるのか?それでよいのか?と尋ねてきました。
その言葉を聞いた昌幸は、我が意を得たとばかりにこう言い添えます。
死にたければ死になされ。が、このまま秀吉の天下が来るとは到底思えぬ。生きていれば、まだまだ面白いものが見られるやもしれぬ。ここにいる誰もがそう思っているはずだ。もうひと暴れしたいとは思いませんか?
が、氏政にもはやその気力は残っていないようで、おぬしらの働きはあの世で見物させてもらう、と言われてしまいます。
ここまででござるか?
家康のこの無念そうな一言が忘れられませんね。それに対して氏政は「ここまででござる」と答えました。景勝もまた長年のよきライバルだった氏政にその心を伝えます。良き戦相手でござった。
氏政もまた「その言葉貴殿にもお返し申す」と答えています。
ここは氏政や昌幸でなくても、もうひと暴れしなくていいのか!と思わずにはいられませんでした
。先祖代々、小競り合いを続けながらも守り続けた土地、敵とは言え、同様にその土地を守り抜いてきた相手に対する尊敬の念がひしひしと伝わってきます。
彼らの間には長年かかって培われた「友情にも近い信頼関係」が存在するけど、所詮は織田の一家臣にすぎなかった「成り上がりの秀吉」との間にはそれがない、というところでしょうか。ま、こと昌幸に関してだけは「信頼」と言ってよいかどうか分かりませんが。
それはまた、あっさりと降伏してきたかに見えた伊達政宗も同様でした。政宗は秀吉の前で餅をつき、その機嫌を取っていたように思えましたが、腹の中は悔しさで一杯だったことが明かされます。政宗は源次郎と同い年だそうで、その気安さからか、政宗はその思いのたけを源次郎に打ち明けます。
もしわしが、もう20年早く生まれておれば、もう少し京の近くで生まれておれば、大広間の主座に座っているのは、秀吉ではなくわしだった!
実際昌幸はこの「餅つきシーン」を見るまでは、秘かに政宗に接触して家康や景勝らとともに秀吉に反旗を翻そうとしていたのですが、政宗が秀吉にこびへつらう姿を見て、その意を翻してしまいます
。
付き合いが短いために本心が見抜けなかったのでしょうか。ここでもしそれが実現していたら、昌幸や出浦の思惑通り、戦国の世はまだまだ続いていたかもしれません。
昌幸に見切りをつけられた政宗ですが、今後は関ケ原の戦いに向けてまた源次郎と絡んでくるようです。たとえ敵味方に分かれたとしても、その根底にはあるのは単なる「憎しみ」ではないというスタンスの下、どのような展開が待ち受けているのか、今からワクワクさせられますね
。
ただ一人、これまでのイメージだと、その「憎しみ」の対象になりそうな石田三成も、今回は意外な面を見せています。
三成は、案の定、忍城攻めにさんざんな苦労を強いられていたところに秀吉が昌幸を派遣したことであっさり勝負が決まったそうです。昌幸は、彼独自の「卑怯な手段」を用い、忍城内の人々を騙してあっさり無血開城させてしまったのです
。
三成は、そのやり方は好きにはなれないけれど、学ぶところも大きいと正直に認め、昌幸に教えを乞うてきます。昌幸もまたこれには満更でもなかったようです。また新しい人間関係の構築です
。
一方、氏政は結局切腹し、その首は京に届けられた上、聚楽第の橋にさらされたそうです。この辺がまたいかにも武士のやりようではありませんよね。最後まで戦った相手に対する敬意もへったくれもありません。氏政が切腹する前に粥(?)をすすっていた表情が実に穏やかだったのがせめてもの救いでございました
。
息子の氏直は出家した後高野山へ送られて、北条家はついに滅亡してしまいました。ちなみに板部岡はその後、秀吉の御伽衆となったそうです。
もしここで、秀吉が北条を許し、他の大名たちのように本領安堵を約束していたら、その後の260年以上続いた徳川の世は無かったのかもしれませんから、本当に歴史というのは面白いですよね。歴史に「たられば」は禁物だとはよくぞ言ったものです
。
が、今の家康にはそれが分かるはずもなく、こっそり昌幸に江戸などススキ野原だと愚痴を言っていたところ、その昌幸には、思いがけず、沼田が与えられます。しかも、徳川との与力関係も解消されてしまいます
。これには三成の助言もあったのかもしれませんね。
それに源次郎の功績も忘れてはなりません。
今回源次郎は小田原城で、利休が売ったと思われる「鉛」を発見していました。その鉛に「魚の印=利休のトレードマーク」が刻まれていたからです。これは利休の実家が堺の魚問屋(ととや)だったからでしょうか。
源次郎たちは開城後、早速城内に駆けつけましたが、既に利休がすべてを回収した後だったようです。そそくさと逃げ出す利休がまた何とも滑稽に描かれて楽しかったですね。この辺も、従来の解釈とは違う三谷流ですね。
そして次回はこれによって利休が追い込まれるようです。こうして必ず、各エピソードに細やかな伏線が敷いてあるのも楽しいですよね。
真面目なシーンだったので大声で笑うのは憚られましたが、調子の良いことで有名な景勝が、またできもしない約束をしたのではないか、と兼続が心配していたシーンも可笑しかった
。ここで念押しされたからには、またどこかでやらかすに違いありません
。
と、毎回楽しさてんこ盛りで、ちいともイラッとしない真田丸(シツコイ)は、続きもとっても楽しみですね
。
~またこれは実にローカルな余談ですが()、このブログで今2番目に訪問数が多いのがこの「真田丸」です
。いつもご利用ありがとうございます
~
NHK大河ドラマ「真田丸」完全ガイドブック (東京ニュースムック)
これまでに視聴した日本のドラマ視聴リストはこちらです
: 視聴ドラマ一覧~日本のドラマ編