黄色い煉瓦~フランク・ロイド・ライトを騙した男~ネタバレと感想
安田顕さん主演の愛知発地域ドラマ、【黄色い煉瓦~フランク・ロイド・ライトを騙した男~】を視聴しました。安田さんは最近軽めの役が多く、それはそれでお上手ですが、これは迫力があって実に見ごたえがありましたね~
。まるで、研ぎ澄まされた刀の上を歩いておられるようでした
。
また番宣に「村上佳菜子」とあったのでえ?と思っていたら、やはりあのフィギュアスケーターの村上さんだったのですね
。確かご自身も愛知のご出身でしたよね。気性がまっすぐなジャーナリストの雰囲気が良く出ていたと感心いたしました
。安田さんと同じシーンに出ることはありませんでしたが、ふたりの雰囲気~明と暗~が好対照なのがまた印象に残りました
。
常滑出身のフリーライター、佳野久美(村上佳菜子)は、名古屋にある出版社の依頼で「久田吉之助」という職人を取材することになりました。編集長(東根作寿英~遠藤剛史@クロコーチ)の話によると、吉之助は、建築家で有名なフランク・ロイド・ライトを騙した詐欺師として知られているのだそうです。
何でもライトがかつて旧帝国ホテルを設計するにあたり、外壁はどうしても「黄色い煉瓦」でなくてはならないと訴えたことが発端だったらしい。
当時の日本で煉瓦と言えば「赤」だったそうで、ライトの要求を聞くのは無理かと思われたところ、ようやく京都で黄色い煉瓦が使われていた建物が見つかりました。その煉瓦を作ったのが久田吉之助(安田顕~光司@俺の話は長い)という愛知県常滑に住む職人です。
ライトは急いで吉之助のもとを訪れましたが、その吉之助には右手がありませんでした。それでも吉之助は、黄色い煉瓦はいくらでも作れる、と豪語したそうです
。
編集長は、吉之助の片腕は息子に愛想をつかした父親が刀で切り落としたと言いましたが、佳野が調べたところによると、本当は糖尿病で右手が腐ってしまったからのようです。
吉之助は、代々続いた船問屋を継げという父・吉蔵(団時朗~松葉屋藤三郎@銀二貫)に逆らって家を出ました。俺は俺の手で俺にしかつくれないものをやりたい!
そこで出会ったのが「黄色い煉瓦」でした。近くに住む焼き物屋の哲さん(渡辺哲~兼埼元治@盤上の向日葵)が、西洋には黄色い煉瓦があると教えてくれたからです。
それから吉之助は10年以上かけて、ついに黄色い煉瓦に適した土を見つけ出しました。内海鉱山の灰色の土は、実際に食べてみると粘り気が非常に強かったそうです。
吉之助は、近所に住む伊奈長太郎(小林豊)を誘って煉瓦作りを手伝わせました。その頃吉之助の作った「トンボ」は今でも大切に保管されているそうです。まるで木彫のような繊細なトンボは、とても土で作ったものには見えませんでしたね。
俺の名前を聞いても誰も振り向かないが、俺の作った煉瓦を見れば皆が立ち止まる。こんなきれいな煉瓦を見たことがないと。
吉之助は、いつか名古屋城みたいなでっかい城を黄色い煉瓦で造る!と豪語したそうです。俺の夢は俺しか見ることができん!
残酷なことに、吉之助の右腕が無くなったのはこの頃でした。医師は前々から注意を促していたらしく、もっと病気が進んだら残りの手足も切らないといけなくなると忠告します。
その結果、吉之助は仕事を無くし、工場は倒産したそうです。
それから3年が経過し、帝国ホテルの仕事が舞い込みました。吉之助は皆が止めるのも聞かずにこの仕事を引き受けますが、職人はなかなか集まらず、作業は思うように進みませんでした。
そこへ帝国ホテル側の責任者、牧口銀司郎(佐野 岳~毛塚直之@陸王)がやってきます。牧口は、寺内信一(平田満~ヤスの父@とんび)という有田焼で有名な職人を連れてきました。生産が遅れているのを手伝うと言い出したのです。
最初は反発した吉之助も、焼き物に精通した寺内を認めるようになりました。ついには「歓迎会」を開こうとまで言い出します
。
それでも「仕上げ」については「秘中の秘」だと言って、右腕の長太郎や長男にですら一切明かさなかったそうです。
その無理がたたって吉之助はまた倒れてしまいました。医師は、残りの手足も切らねばならないと伝えますが、吉之助は、あと1年でいいから何とかならないかと食い下がります
。
その頃牧口と寺内は、ついに、黄色い煉瓦の材料になる「灰色の土」を見つけ出しました。どうやら吉之助の息子の國定が業者を教えてしまったようです
。それでふたりは新しい工場を借りて吉之助とは別に生産を進める、と切り出しました。
日本を代表するホテルを建て替えるということは国の未来にも関わってくる。職人のこだわりなんてちっぽけなものにかかずらってる暇はない!
吉之助は激怒し、まさに体当たりで牧口を殴り飛ばしました。牧口は契約を破棄すると息巻き、前金も全部返せと詰め寄ります
。
吉之助が金など全部使ってしまったと答えると、牧口は工場内のすべてを引き取るとやり返しました。その言葉通り、牧口は警官まで連れてやってきます。長太郎を始めとする職人も皆引き抜かれてしまいました。
申し訳ないけどこれは負け戦だと思う。ホテルと協力したほうがいい。一人で意地張っとってもしかたがないよ。
吉之助は、土の業者を教えたと白状した息子を怒鳴りつけました。かつて吉之助が家業を嫌ったように、この國定もまた職人を嫌い、海運の仕事がしたいとのたまいます。
吉之助は決して詐欺師などではなかった!
そう佳野がまとめた記事は編集長に却下されてしまいました。編集長は「片腕の詐欺師」について書けと言ったのであって、「職人奮闘記」など求めていないというのです。
出版社のデスク=高木明仁(杉浦太陽~一矢@流星の絆)が二人をとりなしました。彼は佳野に牧口の手記を手渡します。そこには吉之助は「暴力を振るった詐欺師」だと書かれていたそうです。
またこの手記によると、満を持して黄色い煉瓦作りに取り掛かった寺内は、黄色い煉瓦を焼けなかったそうです。
何度やっても鉄錆色になって困っていたところに吉之助がやってきました。その頃の吉之助は、海に入ってもそれが分からないほど手足の感覚がマヒしていたそうです
。
吉之助は、黄色い煉瓦を頬に宛てながら、そのざらざらとした感触を味わい、俺はまだ生きている、と実感しました。黄色い煉瓦は俺だ、俺自身だ!忘れられてたまるか!死んでも残したる!!
長太郎の前でそう叫んだ吉之助は、おもむろに、かまどの扉に穴をあけ始めました。窯の中で煉瓦が苦しがっとる!もっと煙を出して息を吸わせてやらんとあの色になってくれん!
煙をふさがずに窯の中を高温にする「酸化焼成」こそが、黄色い瓦をつくる秘密だったのだそうです。
その様子を物陰から見ていた寺内は、出来上がった黄色い煉瓦を見て、これは吉之助が作ったものだと言い切ったそうです。
寺内は製作所を辞めて、すべてを長太郎に任せました。それが吉之助の意志だと確信したからですね。こうして250万個の黄色い煉瓦が出来上がりました。
吉之助はこの翌年41歳という若さで亡くなったそうです。それから100年が経って、ようやく職人として評価されてきたのだとか。
佳野は、吉之助は決して詐欺師ではなかった、と結論付けました。たとえ編集長がどう思うと、それが真実だったのだと。ちなみにウィキペディアには逆に「久田吉之助の技術を盗用して成功した黄色煉瓦焼成」とまで書かれていましたよ~
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文字通り、命がけで作り上げた黄色い煉瓦が高い評価を得たことを、吉之助はきっとあの世で喜んでいるに違いありませんね。そのような方がいらっしゃったことを伝えてくださった=良いドラマを発信してくださいましたことに感謝です
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これまでに視聴した日本のドラマの視聴リストはこちらです
: 視聴ドラマ一覧~日本ドラマ編