大地の子 あらすじと感想 第4話 黒災
山﨑豊子さん原作、上川隆也さん主演の日中共同制作ドラマ、【大地の子】の4話「黒災」を視聴しました。文革から日中国交正常化へと時代は大きく変わっていく一方で、一心の心はそう簡単には変われないという戸惑いがひしひしと伝わってまいりましたね😿。以下早速ネタバレです。
油断が招いた危機
羊飼いをしていた一心は、ある日、同じ監房にいた陳という男が脱走する姿を目撃しました。陳は一心が破傷風になった時も親身になってくれた人物です。一心は、見つかったら殺されてしまうと止めましたが、陳は、殺されてもいいから逃げる、と叫び、一心にも一緒に来るよう勧めました。とそこへ追っ手がやってきます😨。陳は見つかって撃たれました。一心が呆然と立ち尽くしていると、追っ手の一人が一心を鞭で打ち据えます。脱走幇助罪だというのです。
一心はその後の取り調べで「毛沢東語録」の背表紙の裏に書いておいた「あいうえおの50音」を見つけられてしまいました。取調べに当たった男はこれを何かの「暗号」だと誤解したそうです。あれほど黄書海から口を酸っぱくして「書いたのものを残しておいてはいけない😠」と言い含められていたのに、一心は、ここなら見つからないだろうと誘惑に負けてしまったのです😔。これが日本語だと知られたら、一心は間違いなく銃殺刑です。
何も言うことができずにいた一心は、囚人が囚人を告発して吊し上げる集会に引き摺り出されました。そこへ、一心が捕まったと聞いて憂えていた黄書海が一心を助けに来てくれます🍀。彼は、一心が書いていたのは「張旭の草書」だと誤魔化してくれたのです❣️。当時、楷書は認められていても草書は軟弱だと非難されていたようですね。特に張旭は「酔いどれ書道家」と軽蔑されていたらしい。
黄書海は巧みに真実を折り混ぜながら、一心が日本語を学んでいたと言う事実を隠してくれました👍。でも一心はすぐにはそれが理解できず、黄書海を恨んだそうで、彼の心を理解したのはその夜だったそうです😨。おかげで一心は極刑を免れ、15年の刑に処せられました。羊飼いの仕事からは外されて糞尿処理に回されたそうです。黒災の中、月梅に再会したのはその後だったのだそう。
一通り状況を説明した一心は月梅に一通の手紙を差し出しました。徳志からの手紙です。その手紙を読んだ一心は、月梅が徳志に一心のことを知らせてくれたに違いないと確信していました。一心の問いに頷いた月梅は、己の境遇について語り出します。月梅の父親も「反革命分子」だったのだそうです。
それももちろん濡れ衣でした。北京の病院で内科医をしていた江は病院の医療行政が官僚的なソ連一辺倒であると指摘したばかりに「右派」の烙印を押され、湖南省への農場へ下放(地方へ送り出すこと)されたのだそうです。その結果、まだ初級中学の3年だった月梅は、黄書海の子供がそうだったように「右派分子の子ども」と決めつけられ、共産主義青年団への入団も却下、高級中学への進学の道も閉ざされてしまったのだそう。小学校の校長をしていた母は平教師に降格され、月梅自身は看護学校に入学しました。
それからしばらくして江は名誉を回復し、一家団欒の時を迎えましたが、それも文革が始まるまででした。一度付けられた「汚名」は付いて回り、妖怪呼ばわりされた江は絶望のうちに自殺してしまったそうです。その数日前に月梅が面会に行った際は、家族で助け合って強く生きていくよう語っていたそうです。自殺は重罪で、家族はそれからも惨めな暮らしを強いられました。月梅が辺境で働いているのもそのためなのです。
だからこそ月梅は、苦難に会いながらも懸命に正しく生きようとしている一心に強く惹かれていきました💖。でも一心は、恩人の月梅を巻き込みたくなくて彼女を拒絶します。それほど打ちのめされていたのです。が、月梅は、北京の燕京病院で働いているから、冤罪が晴れて北京に帰ることができたら知らせてほしいと訴えました。一心は後ろ髪を引かれる思いで月梅の元を離れます。
身分回復
1972年5月、一心は突然釈放されました🎉。実際に釈放が決まったのは大分前のことだったということですから、徳志の請願が聞き届けられたのでしょうね。その徳志も既に范家屯へ帰っていたのを、人民来信来訪室から「釈放」の知らせを受けて、すぐに北京へやってきました💨。内蒙古からの列車は日に1度、夜しか到着しないらしいのに、徳志は毎日のように駅へ行っては「まだ到着しないのか」と駅員の女性に尋ねたそうです😅。そして10回目、ようやく一心がその列車に乗ってきました。一心!
まさか徳志が自分を迎えに来ていようとは思ってもみなかった一心は涙が止まりません😭。しかも、徳志はもう10日前から毎日様子を見に来てくれていたと知ると感激で胸がいっぱいになります❣️。徳志は「たったの10日だ」と言って一心を駅のベンチに連れて行きました。徳志は駅近くの旅館に泊まっていたそうですが、そこは1部屋に7〜8人が詰め込まれていたので、徳志は駅の方がマシだと毛布も持参で来ていたのです🌹。
ふたりはそこで様々な話をしました。今回の釈放には力本の奔走があったこと、その力本が、教師となった秀蘭と結婚したこと、徳志に一心の冤罪を知らせてくれた月梅は、破傷風の時に世話になった看護師だということ、そして、一心を助けるために、徳志が教師を辞めさせられたらしいこと😨。でも徳志は、それで一心の無実が晴れて無事帰って来れたのだから、何の悔いもない、と語りました。一心はその父の胸に顔を埋めています。
日中国交正常化
1972年9月25日、ついに日中国交が正常化されました。一心も国都鉄鋼公司には戻りましたが、工程師としてではなく図書室の掃除と本を整理する仕事をさせられていたそうです。一心は、この正常化が自分にどのような影響を及ぼすのか不安に思いながらも、そこで辞書を引きながら日本の技術を学んでいました。そこでも黄書海の言葉が常に蘇っていたそうです🌿。
結婚
北京に戻って半年が過ぎた頃、一心は月梅に会いに行きました。ふたりはそれからまもなく結婚したそうです💝。職場の集会場で挙げた簡素な式には、范家屯の両親と月梅の母と、亡き父の写真を抱いた弟、そして職場の仲間とともに一心同様最近釈放された朱子明という元技師長も来てくれたそうです。一心は、生まれて初めて受ける温かい祝福に涙が止まらなかったそうです😿。
翌年には燕燕という娘も生まれました。名付け親は徳志です💜。
新しい仕事
それから半年経った頃、一心には新しい仕事が与えられました。日中共同の一大プロジェクト=製鉄所建設における日本語の通訳です。最初一心は「日本語」というだけでひどく警戒し、話せない、分からない、と固辞していましたが、日本の鉄鋼協会の使節団が来るから、とにかく同席しろと命じられてしまいました💦。一心には工程師の資格があるからです。
ところが一心はそこで心ない日本語を耳にしました。遅れてるなあ、玩具みたいだ😏。
それから2週間後、一心は再び、今度は「重工業部の外事司長」から外事司に引き抜かれました。彼は敗戦まで東北の小学校で日本語教育を受けたそうで、7歳まで日本人として生活していた一心なら、すぐに日本語が堪能になると確信してヘッドハントに来たのです👍。それでも一心は警戒心を緩めなかったため、逆に「やましいことがあるのではないか」と疑われてしまいました😵。一心は気色ばんでこれを否定します。私は正式に名誉を回復され、元の単位に戻りました。やましいことなどありません!😡
一心は元技師長にだけ本心を打ち明けます。私はまたあなたとともに工程師として現場で働きたい。それに日本人には嫌悪感を抱いている😠。
もう一人の父
耕嗣は柿田から、この日中共同プロジェクトにおける協力を依頼されました。東洋製鉄の社長の稲村嘉三(西村晃)はこのプロジェクトの受け皿になることで少しでも中国に償いたいと考えていたそうです。柿田は、家族を中国で失った耕次の気持ちは複雑だろうが、力を貸してほしいと語りました。
感想
これまでの辛酸がなければ、日本語と技術の両方を生かせる仕事に就けることは甚だ幸いなのだけれど、これまでにも何度も掌を返されて虐げられてきた一心には、そう易々と信じることはできません😔。ここで調子に乗って「日本人」であることを前面に押し出したりしたら、また改労送りになりかねませんからね😥。たとえどんなに素晴らしい「理想(思想)」も行き過ぎた解釈で情け容赦ない武器に変わるというのが、心底恐ろしくてなりません😨。