いだてん あらすじと感想 第42話 東京流れ者
宮藤官九郎氏脚本のNHK大河ドラマ、【いだてん~東京オリムピック噺~】の42話は「東京流れ者」です。あ~なるほど、あの土地はそうでした、そうでした。まったくうまいことを思いつきましたね~まーちゃんは!
それも治五郎
のおかげでしょうか
。
平沢は、当時の安保闘争を利用し、日本人の米軍への反感を鎮めるために、基地を返還するよう交渉しました。当時の日本における反米感情に頭を痛めていた駐日アメリカ大使のライシャワーがこの誘いに乗ってきます
。
やった!これで俺のオリンピックが完成する!
田畑が喜んだのもつかの間、なんとアメリカは返還に60億を請求してきました。
たかが60億じゃんね!
とはさすがの田畑も言えません。
その間に、川島は田畑や津島を追い落とそうと画策します。これはおばさんの邪推ですが、川島は自称日本橋生まれだそうなので、田舎者の田畑や津島に「東京オリンピック」を仕切らせたくないという嫉妬も大きかったのではないでしょうか
。
川島は総理大臣の池田勇人(立川談春~殿村直弘@下町ロケット)まで抱き込んできました。池田は「所得倍増計画」で知られるだけあって金にはうるさく、あと5~6年もすればタダになるのに、無駄金を払う必要はないとのたまいます。
要するに「オリンピック」という一時の祭りのためだけに国の予算は掛けられぬ、という話でした。競技場やプールはオリンピックが終わっても使えるが、選手村では潰しが効かんという訳です。
亡き治五郎の肖像画(いや幽霊)と語り合っていた田畑は、画期的なアイディアを思いつきました
。それが代々木に放送センター(NHK)を作ることです
。1961年当時、NHKは内幸町にあったらしい。
当時はテレビの「カラー放送」がスタートした頃だそうですが、カラーと銘打ってはいても、テレビ自体を「カラーテレビ」にしなければ依然として白黒のままだったそうです
。その白黒テレビが普及したのは、当時の皇太子ご夫妻が結婚した時だったそう。あ~その映像は事あるごとによく拝見しましたね~
。
田畑はそこに目を付けました。オリンピックをカラーテレビで見よう!
を合言葉にするためにも、代々木にNHKを移転すればいいと考えたのです。
それまた無茶苦茶強引な展開ですが、田畑が直談判するとその気にさせられちゃう
のがまた楽しいですね
。
メイン会場の1つとなる代々木第一体育館のすぐそばに放送局を作り、オリンピックを全国に向けて中継する~これは国家の威信をかけた一大プロジェクトだ!
一家に一台60万円のカラーテレビを売れば、1万軒で60億!!
田畑はこうしてまたしても「直談判」で池田を説得してしまいました。当時は東京五輪の放送センターとして建設されたそうです。
~これは余談ですが、昨今のNHKの老朽化に伴う移転について、「何故渋谷の一等地にあるのか」が問題視されたことがあるそうです。何でも今やNHKは「都内で6番目に二酸化炭素を多く排出する事業者」だそうで・
~
田畑はその一方で、陸路での聖火リレーの可不可を検証するために、アテネからシンガポールまでの2万キロを自動車で走行させました。そのドライバーに名乗りを上げたのが、タクシーを運転しながら、たまたま乗り合わせた建築家の丹下健三(松田龍平~別府司@カルテット)とグラフィックデザイナーの亀倉雄策(前野健太)の会話を耳にした森西栄一(角田晃広~吉村晃広@これは経費で落ちません!)だそうです。
これが実話だと言うからまた楽しいですね~。昭和(戦後)はやっぱり熱かったですね
。
また四三も自叙伝「走れ25万キロ」のサイン会を開くなどして、最終ランナーへのアピールを怠りませんでした。福島が誇るマラソンランナー、円谷幸吉(菅原健)さんもサインを求めていましたね
。
そこへ五りんがやってきて「小松金治」と名乗りました。
それが小松と陸の忘れ形見だと気づいた四三がまた実に感慨深げでしたね~。ばばばばば!
その五りんに田畑が目を付けました。テレビ寄席で「オリムピック噺」をしていた五りんを広告塔に抜擢したのです
。
「東洋の魔女」もその誕生を今か今かと待っているかのようでしたね。
「いだてん~東京オリムピック噺~」は来週の放送もめちゃ楽しみですね。
これまでに視聴した日本のドラマの視聴リストはこちらです: 視聴ドラマ一覧~日本ドラマ編