終戦ドラマ「しかたなかったというてはいかんのです」ネタバレと感想

妻夫木聡さん主演の終戦ドラマ、【しかたなかったというてはいかんのです】を視聴しました。原作は熊野以素氏の「九州大学生体解剖事件 70年目の真実」で、後に「相川事件」と呼ばれた実話に基づくドラマだそうです。人体実験に関する作品では、若い頃に読んだ遠藤周作氏の「海と毒薬」や森村誠一氏の「悪魔の飽食」なども衝撃的でしたが、この相川事件こそ「海と毒薬」の題材だったのだそう〜それで「肺」だったのですね😕。

以下ネタバレのあらすじです。

教授の命令

太平洋戦争末期、西部帝国大学医学部の医師たちは、軍の命令を受けて米軍捕虜への実験手術を行いました。片肺を切り取ってどのぐらい生き延びるかを調べたそうです。教授の石田幸三(鶴見辰吾〜久我山秋晴@TOKYO MER)の指示に従ってオペに参加した助教授の鳥居太一(妻夫木聡〜手島伯朗@危険なビーナス)は、その取り出した肺があまりにも綺麗だったことからこのオペの真意に気づき、愕然としました😨。石田は軍から様子を見にきた進藤直満大佐(山西惇〜永田宏@半沢直樹)に「海水から作った代用血液」の効果も自慢しています。が、その効果もすぐに薄れて血圧が低下したため、鳥居は心臓マッサージを行おうとしましたが、石田からその必要はないと止められました。石田はこれで、これが「実験手術」だったと確信しました💀。

帰宅した鳥居は妻の房子(蒼井優〜福原聡子@スパイの妻)にこの話をして聞かせ、大学を辞めたいとこぼしました。房子は、もう2度とそのような手術には参加しないでほしいと訴えます。たとえ敵でも、捕虜を医学の実験に使ってはいけない。鳥居も、石田には逆らえないと言いながらも、捕虜の手術には参加しないと約束しました。が、やっぱりそうも行かなかったそうで、鳥居は前回のケースと併せて2度、手術に参加させられたそうです😔。

軍事法廷

戦争が終わると、鳥居は石田や他の医師たち、そして軍人とともに占領軍に逮捕されました。事件の首謀者と目されていた石田は自ら命を断ちます。石田は「一切は軍の命令で、責任は自分にある」との遺書を残したそうです。それで彼らの弁護を引き受けたサマーズは「石田の命令には"誰も"逆らえなかった」ことを立証するために、唯一反対した鳥居の言動を伏せてしまいました😵。鳥居は捕虜の手術を止めるよう石田に進言したのですが、石田は「相手はたくさんの日本人を殺したアメリカ兵だ、日本人を救う医療の進歩に役立てることは処刑するよりはるかに良いではないか」と言って耳を貸さなかったのだそうです。でもサマーズは鳥居に仲間に迷惑をかけたくなければ自分の話をしてはいけないと止めたそうです。

実験手術は合計4回行われたそうですが、鳥居は2度しか参加しなかったにも関わらず、4回の手術全てに参加したことにされました。それで、石田に次ぐ「助教授」の地位にいた鳥居は「事件の首謀者」にされてしまい、死刑が宣告されます。鳥居はその時「教授」と呼ばれていたそうです😠。

証人として法廷に呼ばれた医学界の重鎮、林田博士は公言します👍。私なら、たとえ上司に命じられてもそんな手術には参加しない。医学は治すものであって、殺すことでは断じてない。手術がもし軍の命令だったとしても、不当な命令には決して従わない😡。

鳥居はこの判決に愕然とします死刑になるようなことはしていない!( ;∀;)。福岡からは房子も駆けつけてきて、この判決は間違っていると憤慨しました。教授が自殺などしたせいで、あなたが代わりに責任を取らされようとしている💢!鳥居は石田に同情を示しながらも、自分は死刑になるようなことはしていない、と豪語しました。

同房には冬木克太(永山絢斗〜観山踊介@俺の家の話)という軍人がいて、あれこれ世話をしてくれます🍀。その冬木から聞いた話によると、彼らのいる巣鴨刑務所にはあの進藤もいるのですが、進藤が命令したためにアメリカ兵を殺して捕まった軍人がたくさんいるというのに、その進藤自身が「戦争だから仕方ない、こんなところで死んでたまるか」と息巻いているのだそうです。

俺(たち)は命令に従っただけなのに

何もしなかった罪

その冬木は、空襲で亡くなった母の仇を討つために自ら志願して米兵を処刑したそうです。それでも「嘆願書」を書き続けました。でも鳥居は書きません。明確な理由があった訳ではなさそうなのですが、どうしても書けなかったようなのです。その理由は後にある人から突きつけられました👊。それは陸軍の中将をしていた岡島孝輔(中原丈雄〜相川新五兵衛@令和元年版 怪談牡丹燈籠)という人物の言葉です。

岡島は、死刑囚棟にいる囚人たちが行き来できるようにし、自らも彼らを激励して回っていたそうです。ここにも人生はある。刑に処されるその時まで、絶望せず、自棄にならず、しっかりと歩んでいきましょう🍀。その岡島は、部下の犯した罪も自分で責任を引き受けたと聞いた鳥居はその理由を尋ねました。岡島は、自分は司令官だったから、と答えます。部下が任務として行ったことが罪に問われるとしたら、それは私の罪だ。鳥居は重ねて「自分では直接何もしてなくてもか?」と問います。岡島はこう答えました。

なにもしなかった罪ということもあるのではないか。

これで鳥居は、ますます嘆願書を書けなくなりました。鳥居たちが手術をした相手は「名もなき捕虜」ではなく、家族のいる人間だったと思い知ります。冬木もまた最近では、なぜこの手で人を殺すなどという残酷なことができたのか、と猛省していました。その冬木は、看守の米兵に頼まれて日本人娘への恋文を翻訳していたそうです。恋の悩みは日本もアメリカも変わらない😁。

その冬木に紙を分けてもらい、家族に「遺書」を残し始めた鳥居の決意を翻したのは、面会にきた房子と子どもたちでした🌹。特に上の娘の和枝が、ずっと黙っていたのに最後に「お父さん!」と叫んだからです。行かんで!お父さんっ!!

こうして鳥居はついに嘆願書を認めました。房子の尽力で、サマーズ弁護士の証言が偽りだったとの裏も取れていたので、鳥居は首謀者ではなかったと認められます👍。冬木も鳥居も、そしてあの進藤までもが減刑されました。とはいえ、鳥居は重労働10年、進藤は終身刑でしたけどね。

故郷へ

鳥居はその10年の刑を終えて、迎えにきた房子とともに故郷へ帰りました。そこで鳥居は診療所を開いて医師として生き続けたそうです。それから数十年後(おそらくは現代)、一人の記者が取材にやってきました。鳥居はただひたすら「自分は間違っていた」と語ります。たとえ殺されても手術を止めるべきだった。記者は、個人の力ではどうにもならなかったのではないかと同情を示します。戦争だったからしかたなかったという側面はあるのではないか?鳥居は頑としてこれを否定しました💢。

それだけは言うたらいかんのです。人間の命に対して、しかたないはなかとです。決してしかたなかったと言うてはいかんのです。

感想

どんなに残酷なことをしてもそれが戦争というものだ、戦争中だったのだから「仕方がない」〜そう言ってしまってはいけないのだという、まさにそのままズバリのメッセージでした。そしてそれは戦時中のことだけには止まらない、全てに当てはまる教訓なのですよね。何もかも「仕方ない」で片付けてしまってはいけない、人のせいにしてはいけない〜このドラマを見て改めてそう痛感した次第です。

  
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