青天を衝け あらすじと感想 第25話 平九郎、無念!!
大河ドラマ【青天を衝け】の第25話は「篤太夫、帰国する」ですが、ここはやはり平九郎の最期の方が印象深かったですよね😔。も〜昨日は朝から泣いたと言うのに夜までこれで😭、本当にしんどかったです。栄一も、さぞかし辛かったことでしょう。以下ネタバレのあらすじです。
帰国
栄一たちが乗った船は、無事、横浜港に到着しました。すでに元号は「明治」に改められ、江戸は「東京」と呼ばれていました。迎えにやってきた杉浦たちは、民部公子改め昭武が新政府から無礼な扱いを受けぬようにと、小舟を用意して神奈川に向かい、品川の宿へと案内します。栄一は残務整理をするために袂を分ち、横浜の宿で田辺や福地源一郎(犬飼貴丈〜日置健也@オー!マイ・ボス!)らから、これまでの経緯を聞くことにします💀。
錦の御旗
栄一は、慶喜が戦をやめて大阪から戻ってきたのは、ひとえに「朝敵になる事を恐れたから」だと聞かされました。薩長は「錦の御旗」を掲げて進軍してきたのです😠。江戸に戻った慶喜は和宮あらため静寛院宮に会いにいくのですが、静寛院宮はこれを拒否し、代わりに天璋院が出てきて慶喜を「ちゃちな男」呼ばわりしました😵。その上で「徳川を守る」ことに関してはやぶさかではないが、慶喜は潔く腹を切れ、と命じたのだそうです。それは静寛院宮も同じでした。岩倉や西郷もこれには従わざるを得なかったらしい🐒。なるほど、そういうことにしたざんすね。
戊辰戦争
反骨の士
小栗を始めとする、反新政府派は罷免され、慶喜は寛永寺で謹慎することになりました。いわゆる「無血開城」です。その小栗は後に群馬の水沼河原で斬首されたそうです。も〜どこまでも「ネジ😜」にこだわりたかったのですね😵。また川路も江戸城に官軍が入ると言うその日に、自宅で拳銃で自害したそうです😭。ちょうどやすが見舞い(なぐさめ)に来たその日でした😿。
彰義隊
鳥羽・伏見の戦いで負傷した喜作は大阪に残された兵の世話をしながら、ようやく江戸に舞い戻ってきました。上野・浅草本願寺には慶喜を守ろうと言う兵が集結しており、虎之助や惇忠は、喜作に頭取になってほしいと頼んだのだそうです。喜作は「慶喜の心を代弁して無念を晴らす」という大義のもと「彰義隊」を結成しました。その文字を見た平九郎は「義を表す」と心に刻みます。我らはこの江戸で上様をお守りする!💢
ところが、その肝心の慶喜は水戸に引っ込んでしまいました😨。すっかりやつれ果てた慶喜の姿を見た喜作は「上様のまごうことなき尊皇の志を世に示す」と訴えましたが、当人の目にはほとんど生気がありません😔。あれは「諦め」なのか、それとも「後悔」なのか、喜作自身もその眼差しの意味には実際戸惑っていたようですが、ああ言う性格(猪突猛進)ですから、それもすぐに己で打ち消したのでしょうが😥。
痛ましい犠牲
それからすぐに彰義隊は分裂しました。wikipediaの情報によると、喜作は慶喜が江戸を出た事を理由に日光に移ろうとしたらしいのですが、これに天野八郎が反対し、喜作自身の命も狙われたため、彰義隊は分裂してしまったのだそうです。喜作は飯能にある能仁寺で振武軍を結成しました。彼らが秩父の山を進軍していると、遠くの上野で火の手が上がります。すでに薩長が上野を占領していたのです。そしてその手は振武軍にも迫り、彼らはあっという間に敗れました。平九郎は、怪我をした仲間を見捨てられずに助けようとしたため、一人はぐれてしまいます
。
そこへ新政府軍がやってきました💀。平九郎は機転を利かせて彼らの目をごまかそうとしますが、何せ多勢に無勢です。ついに追い込まれて撃たれました😨。それでも平九郎は「武士としての最期」を全うします。血を吐きながら立ち上がり、「御旗本、渋沢篤太夫が嫡男、渋沢平九郎!」と刀を振り上げたところを蜂の巣にされたにも関わらず、その刀を腹に突き刺して切腹して遂げたのです。最期の言葉は「花と散らん」でした。
が、新政府軍がこれを聞いているはずがありません。川村は、越生宿の郷境に設置された梟首台に名札もない首が晒され、犬がくわえて行ったと聞いて、それが平九郎ではないかと語りました。栄一は憤懣やる方ないと言った表情で涙を流し、叫びます💢。平九郎っ!!それでも喜作と惇忠は横手村に落ちて逃げ延び、喜作は箱館でまだ戦っているそうです。
函館へ
函館では永井が陣頭指揮を取っていました。永井はこの蝦夷の地を徳川の新天地にする!と豪語します。土方は喜作を「もうひとりの渋沢」と呼んでいました。虎之助は、徳川の威光を取り戻したいと願っている者が大勢箱館に向かっている、もし栄一が行くなら自分も行く💢、と息巻きます。
遺憾千万!
栄一
もちろん、栄一は「行かねえ!😡」と叫びました。栄一は、何も意見を言いませんでしたが、肝心の慶喜ですら身を引いたと言うのに、その周りが「犬死」しているのが我慢できなかったに違いありません😠。しかも平九郎に至っては、自分が養子になどしなければ「武士としての最期」など選ぶこともなかったのです。
その怒りは喜作に当てた手紙によく表れていました💀。「主人もなく、残された烏合の衆がいくら集まろうとも勝てるわけがない・・・中略・・・潔く死を遂げろ」
血洗島
栄一は横浜に着いてすぐに家族に手紙を出したようです。それが渋沢家に届いたのは、平九郎が亡くなり、惇忠も血洗島に戻ってきた後でした。千代は早速夫の無事を兄たちに知らせに行きます。ていは、無言ではありましたが、恨みがましい目で睨んでいました😠。尾高家に着いた千代は、栄一が命を捨てずに戻ってくる決意をしたのは長七郎のおかげだと感謝します。でも長七郎は、自分は命を大事にしたわけじゃなく、死に損ねただけだと自嘲しました。
兄い、俺たちは何のために生まれてきたんだんべな?惇忠は答えることができません😔。
商人の戦
梅の花が咲く頃、栄一はようやく残務処理を終えました。せっかくフランスまで行かせてもらったのに、とぼんやりしていた栄一の前に三井組番頭の三野村利左衛門(イッセー尾形〜深野心仙@スカーレット)という人物が現れます。彼らは、新政府が発行した太政官札という「紙幣」を扱っているらしいのですが、何せ新政府そのものに信用がないため、さっぱり流通しないらしい🐒。この利左衛門はかつて小栗の中間をしていて、後に両替商になったのだそうです。その後は〜言わずもがなですね😅。
まことの戦はこれからざんすよ。わしら商人の戦いは😎。
栄一がその言葉の意味を考えながら昭武に会いに行くと、朝廷から函館への出兵を命じられたと聞かされます。元は幕府の忠臣だった彼らを昭武に成敗しろと言うのです👿。これからも水戸で仕えてほしいと言われた栄一はまず「主君」の意向を確かめてくると答えました。昭武もまた慶喜に手紙を書き、その返事をもらってくるよう伝えます。栄一はでもその前に血洗島に戻るようです。
感想
喜作はある意味ずっと武士になりたくて、武士になったら「武士として死にたい」と切望していたところがあるので、栄一ももう何も言わなかったのでしょうが、平九郎の死には大いに責任を感じていたことと察せられます😔。上でも触れましたが、栄一が見立て養子になどしなければ、平九郎は血洗島で平和に暮らしていたはずなのです。現に平九郎は、栄一がパリから戻ってきたら、養子を解消してていと一緒になるつもりだったのですものね。それなのに、最後は文句ひとつ言わずに散っていった〜それを思うとなんとも切なくてなりませんでした。
拍手コメントをありがとうございます♪
Fさん、こんにちは〜( ´ ▽ ` )ノ。
今回は本当に切なかったです。朝善住坊で泣いて、夜は平九郎で泣いて(/_;)。
でね、私も栄一やFさんのおっしゃる通り、喜作たちはア○だったと思うんですよ。肝心の殿様が乗り気じゃないのに何やってんねん!と思いながら、でもやっぱり心のどこかで、慶喜は「沈黙」ではなく、彼らを止めるべきだったのではないか、と悔やまれてならんのです。これはこのドラマのキャラじゃなくて「徳川慶喜」という人物に対するアタイの昔からの疑問(怒り)でもあるんです。白虎隊もこの人のせいで死んだんじゃないかと恨んでる訳で(苦笑。新撰組も然りです( ̄▽ ̄)。
そう思う一方で「時代」(凝り固まった考え)には勝てなかったのかなあと同情もしています。栄一はもともと進歩的な考えだったのが広い世界に出てますますこの「頑迷さ」(馬鹿馬鹿しさ)が見えるようになったんじゃないかと。「そんなこと」で死んではならぬ、死ぬのはおかしいという価値観は、彼らには理解できなかったのだろう、と。そこを慶喜は諦めていたのではないかと。言っても無駄だ、と。
だからですね、来週慶喜がなんと言うのか(制作者がなんと言わせるのか)が楽しみでならんのですわ(^ー^)。こん