どうする家康 ネタバレと感想 第36話 於愛日記
大河ドラマ、【どうする家康】の36話は「於愛日記」です。
このドラマの面白い=素敵なところは、おばさんが思うに、主人公の家康はそれほど素敵じゃないんだけど(🙏)、彼を取り巻く人々がとっても素敵なところですよね😁。古沢さんがまた「脇役」、しかも他のドラマなら脇役にもならないような地味〜な脇役を、とても魅力的に描いているのがまた素晴らしい。
従来の大河を思い出してみても、その点ではこのドラマが群を抜いている気がいたしまするよ。大河だろうとなんだろうと(特に大河は長丁場なので)、自分が気に入らないドラマからはさっさと退散するおばさんがここまでこれを見続けているのは多分そのせいに違いない、とはたと思い当たりました。特にアタイは脇役が大好きなのでござる😏。
今回の「メインの脇役=主役」は副題通り、於愛です。広瀬アリスさんをお好きな方は別でしょうが、この於愛も、最初からインパクトがあったわけじゃなかったですよね。むしろ地味〜で目立たなくて鈍臭い役だったのが(🙏)、ここ数回でどんどんその存在感を増してきました💜。
前置きが長くなってしまいました。以下あっさりネタバレです。
偽りの笑顔
於愛は日記にこう綴っていました。私の笑顔は偽りだ。殿(家康)のことは心から敬ってはいるけれど、お慕いはしていない。於愛はいまだに、亡くなった夫のことを慕っていたのです。彼女は「西郷局」と呼ばれていたそうですが、その亡父が西郷義勝だったのだそう。いつも俯いて暗い顔をしていた彼女を「嘘でも笑え」と戒めたのは、彼女を家康の側室に推したお葉だったのだそう👍。
家康は、その於愛に、平八郎こと本多忠勝と稲の説得を任せたそうです。でもふたりは頑として、真田との縁談を拒み続けました👻。忠勝はでも、なんだかんだともっともらしい理屈をつけてはいるけれど、可愛い稲を手放したくないだけなのです。於愛は稲に「(政略)結婚は大事な女の務め」だと教えようとしました。現に北条へ嫁に行ったお葉の娘のおふう(清乃あさ姫)は、夫の氏直(西山潤)や舅の氏政(駿河太郎)を説得しようとしています。
千代を巡って
また家康は、かつて武田の忍びをしていた千代を捜させていたそうです。その理由は単に彼女を心配していただけらしいのに、家臣たちは皆「瀬名の仇を討つため」だと誤解していました。漏れなくそう誤解していた渡辺守綱が千代の姿を見かけます。千代はなんと既に元忠が匿っていたのだそうです!?😵
家臣たちは、忠臣だった元忠が家康に黙って千代を匿っているのは「忍びにたぶらかされたから😈」と誤解しました🐒。忠勝などは、この機に乗じて「すべては真田が悪い👻」などと言い出します。でも元忠は、千代はもう忍びではない、元忠を慕ってくれている、と反論しました。
そこへ於愛が割って入りました。千代の言い分を聞くことにしたのです。でも千代は、皆の言い分が正しいのだろう、と偽悪ぶります。さんざん非道なことをしていた私の言葉など信用できぬだろう。元忠を慕っているというのもきっと偽りだろう。私はそうやってずっと「偽りの中」で生きてきた😏。
その言葉を聞いた於愛は、千代には家康の裁定を待つよう命じる一方で、己の過去を振り返ります。彼女もまたずっと「偽り」の中で生きてきたからです。でも、瀬名と信康に先立たれた家康を支えようと思ったのは真。そして、いつの間にか「無理に」ではなく「自然に」笑えるようになってきた。それは家康のおかげだと気づきました😲。
於愛は家康に「人の道は茨の道だから、慕い慕われる者に巡り会えるのは幸せなことだ」と語ったそうです。それを得たのなら大事にすべき〜彼女はそう助言したのだそう🌹。
家康は元忠と千代に「幸せになるのは生き残った者の務めだから」とふたりに夫婦になるよう命じました。
女の戦場
忠勝に意見を求めると、忠勝は、まだ千代が真田の忍びだという疑いは残っている😤、と固執します。でも稲がこれを制しました。
私が真田に入りこんで、真田を操ればよい。元忠が寝首をかかれたら、私が真田親子の寝首をかく。忠勝に武芸を仕込まれた自分にならできる。稲は、夫婦になるのも女の戦と思い知った。真田家、我が戦場として申し分なし!
こうしてせっかく稲が覚悟を決めてくれたというのに、秀吉が横車を押してきます🐵。北条親子が上洛せずに代理を立てたことに腹を立て、せっかく収まった真田との対立を煽ろうとしました😈。これには弟の秀長も眉を顰めますが、彼にはもはや兄を抑えることができません。
秀吉は今、茶々(北川景子二役〜いや〜!お美しい😍)を新しい側室に迎えて、すっかり浮かれていました。茶々もまた、そうは見せなかったけど、ここを「女の戦場」と心得ているのではないでしょうか😎。
於愛の人となり
於愛は、以前から「近目」だということでしたが、同じ境遇の目の不自由な方々に、率先して衣服や食料を与えていたのだそうです💐。その優しい人柄から、たくさんの人に愛されてきた女性だそうで、稲の縁談が決まった後は、自分から家康に、瀬名と信康のことを話してほしいと頼んだのだとか。
誰もがずっと腫れ物に触るように触れないできたその話題をふられると、家康もまた笑顔で語り出しました。家康にとってもようやく「その時期」が来ていたのですね。そうした他人の気持ちが分かるのも、彼女の優しさですね。彼女は「目」の視力は悪かったけれど、心の視力はたいそう優れていたに違いありません🌹。
どうやら心臓に病を抱えていたらしい於愛は、その後しばらくして亡くなったそうです。たくさんの人々がその死を嘆き悲しんだというのも大いに頷けますね。